DOMAINEPIERREMOREY / ドメーヌ・ピエール・モレドメーヌとネゴスのふたつを高水準で両立させる希有な存在ピエール・モレイはムルソーの造り手だが、一族がムルソーにやってきたのはフランス革命まっただ中の1793年のこと。モレイと名のつく他のドメーヌ同様、もともとはシャサーニュ・モンラッシェの出身だという。ピエールの父、オーギュストは1935年にドメーヌ・デ・コント・ラフォンのメタイエ(収穫の一部を受け取る小作人)のひとりとなり、1971年からピエールがそれを引き継ぐようになった。ラフォンはムルソーの1級畑や特級モンラッシェなど素晴らしい畑をもっていたが、オーナーはつねに他の仕事をもち、畑作業は小作人に任せていたのだ。ところがドミニク・ラフォンがラフォン家で初めての栽培醸造家になると、折半耕作の契約期間を延長せず、ラフォン家のすべての畑を自ら耕作することを宣言。1986年から1991年にかけてピエール・モレイは多くの畑を失ってしまう。しかしながら、ピエール・モレイの手腕に感銘を受けていた、ピュリニー・モンラッシェの大ドメーヌであるルフレーヴは、引退が決まっているそれまでの醸造長のジャン・ヴィロに代わって、ピエールを招聘。こうして彼は、1988年以降、ルフレーヴの醸造長として働く一方、自身の小さなドメーヌを運営し、さらに1992年にはネゴス・ブランドとして「モレイ・ブラン」を設立。二足のわらじならぬ三足のわらじを履くことになる。ルフレーヴの醸造長に就いてから20年後の2008年、ドメーヌ・ピエール・モレイとモレイ・ブランの仕事に集中するためルフレーヴから離れ、娘のアンヌを共同経営者に迎えて、父娘で11haの畑を耕作。同時にモレイ・ブランを経営している。ルフレーヴがそうであるように、ドメーヌ・ピエール・モレイでも1991年から畑をビオロジックやビオディナミで栽培し、1997年にはすべての畑をビオディナミ農法に転換した。アペラシオンはドメーヌもネゴスもムルソーを中心にコート・ド・ボーヌと白と赤に集中している。ドメーヌ所有の特級畑はバタール・モンラッシェのみだが、ネゴスのほうにはモンラッシェにコルトン・シャルルマーニュ、赤のコルトンもある。またドメーヌのラインナップには、珍しいムルソーの赤、レ・デュロがあり、表土の厚い土壌からすこぶるパワフルな赤ワインを生み出す。ピエール・モレイのワインはテロワールにきわめて忠実に仕上げられ、ムルソー1級ペリエールはその硬質なミネラル感を前面に押し出し、バタール・モンラッシェはリッチさと力強さが表現されている。ドメーヌとネゴスの両方を運営する造り手のワインは、ドメーヌを主、ネゴスを従ととらえられがちだが、ピエール・モレイの場合はそれにあたらない。ネゴスのワインはあくまでドメーヌのラインナップの補完にあり、ブドウが購入したものである以外はドメーヌ同様のケアがとられている。たとえば村名ムルソー同士をブラインドで試飲したとしても、そのブドウが栽培された区画による違いはともかく、品質的な優劣を感じることはない。ラフォンやコシュ・デュリーと並ぶ、偉大なムルソーの造り手がピエール・モレイなのだ。 |
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